福島第一原発事故関連報道と象徴暴力(下)

荒井 文雄

 

二つの悪からましな方を選べと言われても、わたしは選ばない。

カール・クラウス

 

要旨

東京電力福島第一原子力発電所の過酷事故から数年が経過し、放射能汚染地から避難した住民は、原子力エネルギー政策の継続を掲げる政府の方針によって、被災地の復興のために、ふるさとへの帰還をうながされている。この論考では、原発事故後の帰還と復興をうながす言説を、<象徴暴力>の観点から分析する新たなアプローチを取った。<象徴暴力>とは、フランスの社会学者ピエール・ブルデューによる概念で、被支配者が自分から支配を正当化して受け入れるメカニズムの中心をなす。帰還と復興を暗示的に推奨する新聞記事の分析をとおして、これらのメディア言説が<象徴暴力>の特性を持ち、その効果を発揮していることを示した。なお、「福島第一原発事故関連報道と象徴暴力(下)」では、論考全体のうち、後半部5・6章を分割してとりあげた。

 

キーワード:原子力発電所事故、新聞報道、批判的言説分析、象徴暴力、メディアリテラシー

 

5. 「3・11後」の記事言説における<象徴暴力>の構成

 第4節では、「3・11後」の記事の特徴を検討してきたが、そこでは、避難せずに原発事故後の福島に家族そろってとどまり、「復興」に向けて生活を再建してゆくことが、当事者の精神的姿勢として高く価値づけられていた。そこには、個人として「癒され」、集団の一員として「不安」をのりこえ、「正しい」「科学的」な知識を持って健全に現実に対処してゆく「被災者をやめ」た人々が先駆的なモデルとして提示されていた。本節では、「3・11後」の記事が称揚するこうした心理的転換を、<象徴暴力>という社会学的な観点から再検討する。それは、原発事故の被災者が、自分たちを拘束する思考方法を、意識することもなく自分たちから身につけてゆく過程を検討することでもある。

 

5.1.  <象徴暴力>とは何か?

 <象徴暴力>とは、ピエール・ブルデューの社会学理論で中心的な役割をはたす概念のひとつである(文献4・7・8)。<象徴暴力>は、支配者が、支配の正当性を被支配者に受けいれさせる手段だが、被支配者の側からは、自分たちが支配関係を強制されているとは感じられない。被支配者はむしろ支配関係を成立させ、存続させるために支配者と共謀してしまう。そのようなことがおこるのは、被支配者が、支配者側の知覚・評価体系を内在化させているためで、相手の立場から自分自身と、自分が置かれている被支配関係を認識するほかはないからだ。支配者側の思考にそってしか考えられないから、被支配者にとって、自分を拘束し強制する被支配関係は<自然>なものととらえられる。支配者に従属しているという事実が、社会関係のなかで個々人に浸透した思い込みのせいで見えなくなってしまうのである。それは、また自分たちの社会集団がもつ「集合的な期待」に答えてゆくことによっても覆いかくされる。

 したがって、<象徴暴力>を研究するということは、この思い込みの生成を研究することにほかならない。言いかえれば、一定の状況や言説に盛り込まれた集団からの要請を的確に把握し、それに従うことを可能にする知覚や思考のパターンが、社会の中のやり取りをとおしてどのように形成されていくかを研究することである。

 この論考がめざすことも、原発事故後の帰還・復興政策の中で、どのように<象徴暴力>が展開され、発揮されたかを、特定の新聞記事言説の分析をとおしてみることにあるが、そのさいにきわめて有用となるブルデュー社会学の概念をもう一つ検討しておこう(文献4・5)。

 社会的な強制に従わざるをえないとき、人はしばしばその強制を積極的に引き受けようとする。可能なものと不可能なもの、選択できるものと選択の余地のないもの、許されることと禁じられたことの区別をきびしく認識し、体得させられると、人は、そういう現実の外在的な条件に抵抗するよりも、むしろその条件を先取りして、自分をそれに適応させることを選ぶ。無理なことが最初からわかっていることを追及しても意味がないから、そうしたことはしだいに思いつくことさえないものに変わってゆく。<必然−自発転換>と呼ばれるこうしたプロセスをとおして、人は、自分に与えられるはずのないものをあらかじめ拒否し、避けられないものを自分から求めるようになるが、これこそ帰還・復興政策の中におかれた原発事故の被災者たちに起こりつつあることであると思われる。そして、以下に検討するように、「3・11後」の記事が<象徴暴力>をとおして被災者たちにうながしていることも、このような心理的転換のプロセスであると思われる。

 <象徴暴力>にさらされた被災者たちの状況をとらえるために、予防原則と<必然−自発転換>との関係について考えておこう。予防原則とは「潜在的なリスクが存在するというしかるべき理由があり、しかしまだ科学的にその証拠が提示されない段階であっても、そのリスクを評価して予防的な対策を探ること」と定義される(文献19)が、それは、環境や科学技術に関する政策決定に際して、法律的・経済的観点から取りあげられるばかりでなく、医学や公衆衛生の分野でも参照される原則である(文献20)。それはまた、病気あるいは健康のリスクという観点からは、個人の行動(選択)を導く原則でもある。

 予防原則は、当然のことながら、「予防的な対策」を取るという<選択>が可能であることを前提にする。したがって、予防原則に沿った「予防的な対策」が選択できないということは、「潜在的なリスク」を押しつける強制が働いていることを意味する。強制の存在自体を、強制を受けている者にたいして隠しておくことを重要な機能とする<象徴暴力>からみれば、予防原則は、強制の存在を暴露するきっかけになりかねない。

 「予防的な対策」の不可能性を物理的にじかに押しつけることは<象徴暴力>の破綻を意味する。<象徴暴力>が機能するには、予防原則に従わないこと、すなわち「潜在的なリスク」を受け入れることを当事者が自分から<選択>したかのように、外部にも当事者自身にも思い込ませる必要がある。不可能なものを拒否し、押しつけられたものを望むようになる<必然−自発転換>の働きは、<象徴暴力>を予防原則の浸食から守る機能を果たすのである。

 

5.2. <必然−自発転換>過程における「科学」の役割

 「3・11後」の記事には、現実との葛藤を超越した心理的転回を強調し、それを可能にする心理的なケアやセラピーが頻繁に話題にされるが、その一方で、放射能汚染環境に対する「科学的」な対処が、記事のもう一つの骨格をなしていた。一般には対立的に把握されるこれら二つの側面はどのような関係に置かれて共存しているのだろう。

 「科学」への言及は、まず「科学」による権威づけによって記事で展開される言説の信頼性を高める効果がある。さらに科学の権威はしばしばアカデミックな研究機関の制度的権威によって裏打ちされる(記事47)。記事74では、福島県の県民健康調査検討委員会の要職を占めている大学教授へのインタビューをとおして、「放射線被ばくによる健康被害の有無は、原発の是非とは切り離して、客観的、科学的に論じなければならない」という原則を述べている。「科学的、客観的」性格を標榜することで、記事はその内容を「正しい知識」として性格づける。しかし、上でみた渡利地区の保育園に関する記事62の例のように、「3・11後」の記事では標榜された科学性が裏づけとなる事実の提示を欠いていたり、事実の提示が一方的であることがままあった。記事75では、2013年7月の福島競馬場での放射線量について「空間放射線量は毎時〇・一六マイクロシーベルト。国の除染目標よりかなり低い」としているが、Days Japan 同年4月号(文献9)に掲載された福島競馬場付近の空間放射線量の値には毎時0.5マイクロシーベルトほどの地点がたくさん確認されている。他の記事でも、放射線量の数値が引用されるときには、それらは「低かった」、「下がった」、「首都圏並みの低線量」、「心配ない」といった表現といっしょに使われている。時たまあらわれる高い線量値は、除染前の値、すなわち「下がる」前の値、あるいは後になって積算線量は「それほど影響はないことが分かった」と見直される値である(記事52・58・62・76)。「3・11後」の記事における科学性・客観性は、事実を論じるためのものではなく、除染の効果などを強調して「安心感」を「構築」するためのものであり、原発事故被災地の放射能汚染環境で定住するという目的に奉仕するものであることが分かる。

 「3・11後」の記事で標榜された科学性は、「正しさ」の権威づけや「安心感」の「構築」に利用されるだけではない。それは、このページの記事のもう一つの特徴である心理過程への働きかけと結びつくことによって、より広範な効果を発揮する。上で言及した記事74は、「科学的、客観的」姿勢を推奨した同じ大学教授による「福島の人間は、放射線と付き合っていかないといけない。それはゼロか百かの話ではない。どのくらいのリスクなのかと考えて、折り合っていくということだ」という話も引用している。原発事故後の福島で科学的であるとは、放射線のリスクと「付き合」い、かつ「折り合」いつつ、福島で生きてゆくことを意味する。この「科学」性には、リスクを考えて避難すること、すなわちリスクと「付き合」うことも「折り合」うことも忌避する態度・行動は含まれていない。ここにも、前段でみた数値の取り扱いと同様、「科学」を態度・行動の規範に従属させる功利性がみてとれるが、それを正当化するのが「ゼロか百かの話ではない」という「科学的・客観的」な言明である。これは、低線量被ばくによる<確率的>かつ<晩発的>な健康影響についてはわからないことが多いという科学の限界と不確実性を根拠にしていると思われるが、それがどうして放射線のリスクと折り合って被災地の放射能汚染環境で子どもとともに生きてゆくことを推奨することになるのか、その<論理>をやや詳しくみてゆこう。

 低線量被ばくの健康影響に関する科学的知識の不確実性を強調することは、低線量の放射能汚染環境を忌避する行動(避難)を抑制することに役立つ。リスクが確実でなく、望ましくない帰結をまぬかれる可能性もあるなら、避難の様ざまなコストは無駄とみなされる。この考え方は<予防原則>に真っ向から反するが、第2節でみたように、避難に関する政策的障害が数多く存在し、それゆえに避難できないという事態を受け入れざるをえない人々にとっては、その事態を正当化する「科学的」根拠となり、事態の受忍を強制から選択に転換するのを助ける。「科学」が予防原則の適用を抑制し、<必然−自発転換>過程を発動させるのである。

 一般に、不確実性は心理的操作の基盤を提供すると考えられるが、ここでは科学の不確実性を強調して、科学ではなく個人の心理的な転回をとおして困難な事態に立ちむかうことが「科学」の名のもとに推奨されるという逆説がある。科学は不確実で、決定的なことは何も教えてくれない。リスクが本来的に<確率的>かつ<晩発的>であることも、科学的知見の不確実性を背景にして、安全側から危険側の広い範囲にわたる判断を「科学」の名のもとに提出する余地を与える。「科学」は大衆操作の意図をも含む判断の恣意性を排除できない。この環境が<危険>ということも<安全>ということも同じように「科学的」根拠があることになる。安全も危険も「捉え方次第」となるこのような両面的相対化の中で、避難できない人々のよりどころとなるのは、一方では「決意」、「覚悟」、「情熱」、「選択」といった前向きな情動か、あるいは「安心感」や「癒し」を与えるセラピーや「出会いの場」である。

 ここで大切なことは、「放射線と付き合」い、「折り合っていく」という事態を強制する政治的・社会的現実がまず存在し、心理的操作の過程がそれを転倒して現実との<妥協>や<和解>や<選択>に変換しているという構図である。そこでは、強制する側と強制される側が、社会的に有用な同じ目的―放射能汚染環境での(再)居住―を最終的には共有することになり、不確実性を含んだ科学的<正しさ>を社会的有用性に従属させることに広範な合意が生まれる。被災地での「当たり前の生活」の回復という目的に奉仕する情報だけが、「正しい情報」として選別されるのである。しかし、こうした<正しさ>を受容したとしても、放射線のリスクとの「折り合い」は完成しない。なぜなら、記事74の大学教授が言うように、このリスクは「選んだリスクではなく、強いられたリスクだから、納得のいくものではない」からである。「強いられた」ものを「納得」するためには、およそ「科学的」ではない心理的転回が必要となる。こうして<必然−自発転換>が完結するのだが、それは、たとえば「東電への恨みや、災禍による深い悲しみも全て自分で引き受けたように見えるすがすがしいほどの笑顔」(記事43)を持つことや、あるいは「南相馬に力強く生き抜こうとして」「今ある幸せを精いっぱい見つけようと必死に生き」るために、郷愁を込めて「南相馬の豊かさを思い出す」(記事44)ことをとおして実現されるのである。

 

5.3. 「科学」による予防原則の解体

 「強いられたリスク」を「納得」する心理的転回は、放射線のリスクと帰還に向けた社会的強制で二重に拘束された精神の<命がけの飛躍>となるが、その作用の包括性のゆえに、予防原則という科学的な原則に対しても決定的な作用を及ぼす。上で指摘したように、科学的知見の不確実性は予防原則の発動を阻む端緒となったが、それを最終的に排除するのは、「力強く」「必死に」「生き抜こう」という決意や覚悟、そして「すがすがしいほどの笑顔」をもって「今ある幸せを精いっぱい見つけよう」という倫理的規範の選択である。心理的転回はこうして知的な領域に侵入して、「科学的」な論理を解体する。心理的な癒しや治癒に権威ある科学者が一役買うことは記事47でみたが、記事76では、放射線の専門家が予防原則を解体する心理的転回を起動させる様子がよく表れている。見出しで「原発批判の旗手」と紹介されるこの高名な大学教授は、原発事故直後から「学者の責任」として福島に通い、記事62でみた渡利地区の保育園の除染も指導している。教授は事故後4年をへた南相馬市に出かけ、極端に線量の高い場所にコンクリートの板を置くなどして線量を下げるアドバイスをしながら、フキノトウをみつけ「食べたいねと住民に問い掛ける」。住民からは「南相馬のフキノトウから基準を超える、一キロあたり一一〇ベクレルのセシウムが出た、と新聞に出たばかりです。誰も食べないから、どうぞと答えが返ってきた」が、そのあと教授は、問題のフキノトウを、「数個採ると、ビニール袋に入れた」と記事は語り、教授がそれを食べることが示唆される。仮設住宅の集会所での説明会で、教授は1キロ3000ベクレル以上のマツタケを10グラム=30ベクレル分だけ食べることは「大丈夫か」という質問に対して、「私なら食べますと答えた」。すると同席の人が、「フキノトウの天ぷらを四年ぶりに食べた。おいしかったと小さい声で言う。妻だろうか、隣の女性が本当においしかったねと笑顔で応えた」というエピソードを記事は報告している。

 フキノトウが放射能の基準値を超えた地域・時点で、それを食べるということは予防原則にそった行動とは言えない。一般の住民も「だれも食べない」。しかし、教授はそれをわざわざ食べるようだし、同じようにそれを「笑顔」で「おいしかった」と食べる住民の存在も強調されている。自分の著書(文献3、51ページ)で「予防原則にしたがって、放射線の防護をしていく必要があります」と書いているこの教授は、ここでは放射線に対して鷹揚で無頓着な態度(高線量地点の近くで教授は「まるで放射性物質の有無を確かめているよう」に「素手で土や枯れ葉を触る」)を示し、放射線に対する<過敏>さをかえってたしなめているようにみえる。「原発批判の旗手」である放射線健康管理学の専門家が、そのパフォーマンスをとおして、「笑顔」で放射能汚染環境を生きるモラルを示す様子を記事76は丹念に描写している。

 

5.4. <必然−自発転換>の指標:「笑顔」

 前節で検討した「ふくしま便り」の記事76はフキノトウを食べた夫婦の「笑顔」をうけて、「復興とは、こういう笑顔が増えることだと思った」というコメントで締めくくられている。上の第4.4.節でみたように、放射能汚染環境において子どもも含めた住民の帰還と居住が実現するのは、共同体を回復・維持する「復興」のためには不可欠の要素だった。それはまた、政治的な意味も持つ「復興」である(後述第5.5.節参照)。しかし、この「ふくしま便り」では、「復興」は「笑顔」に集約され、極端に心理化されている。実際、「笑顔」は、「3・11後」の記事を特徴づけるたいへん重要な要素である。以下で、典型的な事例をみてみよう。

 

・「福島の笑顔届け・・・福島のリアルな姿を伝えたいと、人々の笑顔や印象的な風景を切り取り、世界に紹介している」(記事5)

・(絵を)「何枚か描いてタッピングを繰り返すうちに、自然に笑顔が戻ってきます」(記事81)

・「全て自分で引き受けたように見えるすがすがしいほどの笑顔」(記事43)

・「部屋にこもってばっかりより、やっぱりいいねえ。山本マツノさん(68)が笑顔を見せた。自宅は南相馬市。」(記事77)

・(福島競馬場の)「売店のジュースが売り切れていた。売り場の女性はこんなにたくさんの子どもを見たのは震災後、初めて。福島も心配ないわねと笑顔で話す」(記事75)

・「別れの言葉を笑顔で繰り返した。平凡な日々が幸せなんですよ。大事にしてください」(記事78)

・「笑顔を振りまく莉緒ちゃん」(写真)、(被ばくを気にする生活で、子どもは)「気付くと笑顔を見せなくなっていた」(記事61)

・(国道6号開通後)「二十三日はお客さんが百人を超えたと美由紀さんが笑顔で話した」(記事7)

・(避難指示解除の田村市都路地区で)「こいのぼりを揚げている家が国道沿いに二軒あった。・・・今年は四年ぶりだ。孫はゴールデンウイークには来るだろう」と笑顔だ」(記事79)

 

「笑顔」は、「部屋にこもって」、「独り」で「悩み、ストレスを抱えている」状態を脱した社交性、「くよくよ」しない楽観性、日常生活の活気、子どもたちの生命感と無垢、そして「決意」や「覚悟」の潔癖さなどと結びつけられている。放射線に対して大胆にふるまっていた記事76の大学教授も、記者を、「赤いおしゃれな服を着て、笑顔で迎えてくれた」という。「笑顔」は「科学的」で賢明な判断に基づいて基準値を超えたフキノトウを食べる大学教授と、同じフキノトウを食べる地元の人々の「平凡な日々の幸せ」を媒介している。こうした「笑顔」は、原発事故直後、福島県の委嘱で県内を講演した回った山下俊一・福島県立医大副学長による「放射線の影響は実はニコニコ笑っている人にはきません」という物議をかもした発言をも連想させる(記事59)。

 

5.5. <象徴暴力>としての「心の復興」

 ここまで、「3・11後」及び同系列の記事群のテキスト構成を、そのいちじるしい心理主義が「科学」を援用することでいっそう強化される過程に焦点を当ててみてきたが、これらの記事が、取りあげられた事実や主題の多様性をこえて、被災地への「帰還」とその「復興」の促進というわく組みで書かれているのは明らかだ。すなわち、「3・11後」は多くの争点をかかえた帰還・復興政策の遂行を、原発事故被災住民の「心の復興」や「心の支援」(記事80・81)をとおして心理的に地ならしする役割を果たしている。したがってそれは、「特報部」の記事(記事36〜38)が批判的に取りあげた政府による「リスコミ」と多くの共通点を持っている。しかし、「3・11後」は、被災地で生きるための「納得」や「心に折り合いをつけ」るプロセスを、より洗練され、差異化されたコミュニケーションをとおして被災者たちに導入している。ストレスやトラウマからの解放と精神的癒し、知的な優越とそれが保障するゆとり、心の高度な段階に至る人格的完成などを称揚して、リスクをあえておかす「当たり前の生活」を価値づけ、それらに向けて人々をいざない、導くと同時に、人々に、その過程で自分が強制されているという事実を忘れさせようとする点で、「3・11後」の記事言説はまぎれもなく<象徴暴力>の特徴を備えている。さらに、「3・11後」はもうひとつ、決定的な点で政府広報のリスコミと差異化をはかっている。それは、このページの記事に時々顔を出す「反原発」の示唆や「原発再稼働」への疑問である。記事74・76に登場する大学教授はどちらも福一の事故前から「反原発」を主張したり、「原発批判の旗手」だった。「日記」の執筆者たちの活動を組織したNPOの会長も、福島の「実態を知ったら、原発の稼働が必要だという安易な意見を持つ人はいなくなるのではないでしょうか」(記事82)と述べ、記事58の夫婦も「なぜ、川内原発は再稼働するのですか」と記者に逆質問する。「3・11後」はこうした伏線をとおして、記事が心理的に誘導する「帰還」と「復興」の促進を原発推進のわく組からはずそうとしているが、それは、記事が目指す心理的効果が、原発推進の手段とみなされて失効するのを避けるという目的のほかに、政権とは別の政治勢力のプログラムをより忠実に敷衍している可能性もある。いずれにしても、原発事故報道の分野で、政府・東電に対する率直かつ辛辣な批判で定評のある東京新聞の紙面で、政権の方針を心理的に浸透させる言説を展開することは、<象徴暴力>としての効果をいちじるしく高めていることはまちがいない。

 

6.  <象徴暴力>の展開:福島の「分断」と住民の二重拘束

 一方で、環境の放射能汚染が続いて帰還や居住をためらわせる状況におかれ、また他方では、政権の帰還・復興政策とそれを円滑に受容させるための「リスクコミュニケーション」の心理的圧力にさらされている原発事故被災者たちの現状はどのようなものなのだろう。それは、被災者を集団としてみたときには「分断」―集団内部のあつれきと対立―として表面化し、個人の心理や行動のレベルでは、相いれないものの共存として表象される。

 

6.1. 住民の「分断」の性格

 原発事故後4年目の日に書かれた記事83は、「復興の掛け声の一方」で、被災地に広がった「息苦しさ」を取りあげている。それは、「避難や賠償、復興などにまつわる感情のもつれが原因」となって、「放射線の影響についてオープンに語りにくい」という制約が、おもに「母親たち」にのしかかっている様子を伝えている。

 記事84でインタビューを受けた被災地の女性―原発事故に対する東電や政府の責任を追及する集団訴訟の代表―は、「原発事故の直後から家族や職場、地域で、残るか、逃げるか、考え方の違いで無数の分断が生まれました」と語っているが、住民の思想や行動の多様性が、必ずしも社会的葛藤を生みだす「分断」となるとは限らない。多様性が「分断」となるのは、どこかで対立の境界線が引かれるからであり、そうした対立的なカテゴリーの設定は社会的に「つくられた」ものなのである。この女性も言っているように、こうした境界設定の「根っこにあるのはもちろん、放射能の問題」である。まず、賠償の問題がある。「通り一本隔てただけで、賠償を受けられたり受けられなかったり」するのは、対象地域と非対象地域の線引きがあるかぎり必然的に起こることだが、それ以上に、記事66でみた渡利地区や記事73でみた南相馬市などの事例が示すように、境界設定の基準の整合性や一貫性に疑問があるとき、救済の対象外とされた人々の不満は高まる。賠償の有無は、避難など、放射能汚染環境に対する対応行動の可能性を制約する。さらに、「放射能の問題」は、帰還と再居住による復興が政策の中心にすえられると、それに対する個々人の姿勢にも反映され、新たな「分断」を生みだす素地を作る。記事84の女性は、「いつまでも被害者でいるのはやめて、復興していこうという帰還・復興政策が、気を付けていれば放射能も大丈夫という安全キャンペーンと一つになり、人々を切り裂いています」と言う。こうした状況で「放射線の不安」を口にすると、「白い目で見られ、孤立してしまう」。なぜなら、「皆、夫の仕事や親の介護や家のローンとかがあって、福島で生活を続ける道を選んでいる。放射線が心配でも気にしていられない。そう心の整理をしたから、心配を蒸し返すような話は口にできない」からである(記事83)。ここでいう「心の整理」とは、<必然−自発転換>そのものであるといえる。

 「福島で生活を続ける」ことを選ぶには、「仕事や親の介護や家のローン」などのほかに、賠償の欠如など避難を阻む条件が背景にあるのは言うまでもない。その一方で、福島の地で、原発事故前のシステムから多かれ少なかれ利益を得ていた組織や人々、たとえば地方行政機構、農業・食品関連会社、東電やその関連会社も、原発事故で失われた利益を取りもどすために、住民の「心」を含めた事故前の状態の回復を目指すから、「放射線の不安」を持つ者は、「風評被害を生む」「復興に水を差すと言われる」ことになる。さらに、不利な条件を押しのけて自主避難をした者は、「裕福」で「かつ故郷を見捨てた」特権的な裏切り者として「ねたみ」の対象となる(記事83)。「放射線を心配」したり、「話題に」したり、「不安を蒸し返し」たり、忌避行動を取ったりすることが、「疎外」や「いじめ」や「孤立」を生む同調圧力の前では、政府公認の「安心感」を集団と共有することが救いとなる。つねにリスクを意識する「被害者であり続けるのはつらいから、大丈夫と言われれば、忘れたい気持ちとも結び付く」ことになり、「被害者」でいるのをやめた者とその輪に加われずに「孤立」した者との「亀裂は深刻になってい」る(記事84)。

 ここまでみてきた福島の社会的「分断」には、見逃してはならない重要な特徴がある。それは「分断」の非対称性である。「分断」は、政府や地方行政機構の方針にそって帰還・復興を目指す人々の側から、放射能汚染環境で暮らすことを十分に受け入れていない人々に向けた圧力と、それがもたらす葛藤・対立として出現する。反対方向の作用、すなわち放射能汚染環境での生活を拒否する人々、たとえば避難者から避難をためらう人々への働きかけや圧力は、上で検討した記事にはまったくみられない。政治的・社会的に「つくられた」分断は帰還・復興政策の一環をなしている。それは、抵抗を示す住民を識別して分離し、彼らを同調圧力のもとで統合しようという政策の住民管理の側面のあらわれとみることができる。

 第4節と第5節でみたように、「3・11後」の記事は、こうした帰還・復興政策を心理・思想方面から推進する役割を担っていた。その役割の性格上、これらの記事において「分断」が語られることはなかった。記事はむしろ、「独り」で「悩む」「孤立した」人にこそ語りかけるべきであり、「心配なのは全く外に出ない人、家にこもりきりの人」だとしていた(記事45・62)。「分断」を主題にした上でみた記事83では、「復興に向けた空気も母親たちの心を圧迫」している状況で、「どうしても話したい時には、本当に信頼できる人と部屋にこもることにしている」と語る母親を紹介しているが、こうした「分断」されてもなお抵抗を示す人々こそ、「3・11」後の記事が称揚するソフトな心理的ケアのターゲットとなる者なのである。

 住民の分断が語られることはないとはいえ、「3・11後」の記事には、避難しないこと・帰還したことに対する疑問や攻撃を問題にすることがある。

 

・「南相馬に子どもと住む選択をした。すごく悩んだ。『そんな所にいつまでいるの』と言われるたび、言葉の被ばくを受けている」(記事53)

・「小さい子が二人いる大槻家にマスコミが殺到した。みんな、ここに住んでいて大丈夫ですか、と聞くんです。真由美さんの心は揺れた。」(記事58)

・「周囲の人や同世代の母親らに子を外で遊ばせてはだめと言われた。長女は自由に歩き回り始めたころ。・・・気付くと笑顔を見せなくなっていた。本猪木さんは胸が詰まった。・・・外遊びを控える家庭が多かった。外で遊ばせた親が、逆に非難される状況も生んだ。」(記事61)

・「子どもを連れて買い物に行ったら、店にいたお年寄りから避難しなくていいのか、と言われて傷ついた」「避難したが、なじめなくて戻った。家族には内緒で、県外の避難先から来て苦労を吐き出していく人もいた。」(記事62)

 

 「3・11後」の記事が描写する避難に向けた圧力は、しかし、すべて乗りこえられた過去の経験として語られ、当事者たちがそれらの「言葉の被ばく」にめげることなく、ふるさとの放射能汚染環境で「生活を続ける道を選んで」きたことを、記事は一種の成功物語として提示している。避難に向けた圧力は存在した。しかし、政府の方針通りに帰還・復興に向かう者には、そうした圧力は、その悪意にもかかわらず、効力を発揮することはできなかった、という物語である。

 一方、記事85は、避難に向けた圧力を、福島内部の分断ではなく、福島の現実を知らない都会人の無理解に基づくものとして批判している。定期的に「福島県在住者ら」を東京に呼んで話を聞く会を主催している女性作家は、「外から『そんな所にいないで安全なこっちにおいでよ』と言うのは簡単だけど、それでいいのかな」と語り、福島県在住者に避難を呼びかけることが、「被災地の今」を伝える「現地の空気感」にそぐわない安易な姿勢であるとしている。

 

6.2. <象徴暴力>にさらされた個人の内部分裂

 ここまで、福島における「分断」とは、実質的には帰還・復興政策の一環をなす「安全キャンペーン」が、それに抵抗する異質な人々を同調にむけて取りこむ過程で起こる社会的葛藤であるのをみてきたが、このような分断状況に置かれた個人はどのように行動することができるだろう。記事83には、当事者たちの声がいくつも引用されている。「一日中、ずっと放射線のことばかりを考えてはいられない」から、「原発の話題も避けている人は多い」周囲の状況のなかでは、「放射線のことなんか話題にできない」し、また、保育園や学校に関しては、子どもの「いじめを懸念して声を上げられ」ない。放射能の問題について「どうしても話したい時には、本当に信頼できる人と部屋にこもる」以外にはない。これらの談話からは、人々が周囲の反応を気づかって声を押し殺して暮らしている様子がうかがえる。とはいえ、声はあげなくとも、解消されない不安はことばとは違った局面で表出される。「ときどき福島を訪れ」るという井戸謙一は、地元で聞いた「お母さんたち」の以下のような声を、文献12で報告している。

 

「福島では、放射能の不安なんて口にしようものなら『まだ気にしているの?』とか、『おかしな宗教にでも入ったんじゃないの?』と、変人扱いされます。だから、親にも友だちにも、放射能の話はできません。でも実際には、福島県産しか扱っていないスーパーの売り上げは落ちて、西日本産のものを扱うようになったスーパーは飛ぶように売れているのです。だから、口に出さなくても、放射能のことを気にしている人は多いのだと思います。」

 

表面的な沈黙をとおして、建前で「安全キャンペーン」への同調を装いながら、できるところでは本音の行動をとるという福島における分裂した個人の状態は、「3・11後」に掲載された記事86の中にある以下の引用からもみてとれる。

 

「関谷直也・東大特任准教授はアンケートを取ると、福島県産の食品への拒否層はずっと三割だったが、今年になって二割前後に減った。一番、不安を持っているのは福島県民。今、不安なのは科学的には正しくないが、私は仕方がないと思う。県内では検査態勢や検査結果の情報があるので、不安に思う人の割合は減っている。県外はそうした情報が知られていないと県内外での情報格差が問題だとした。」

 

風評被害を専門とする研究者のこの発言は、真意を理解するのがたいへん困難なものである。というのも、福島県民が食品の放射能汚染に対して「不安を持っている」のかいないのかという中核的な問題に関して、どちらとも取れる二重性があるからだが、その二重性自体が「アンケート」の結果から由来していると解釈することができる。「福島県産の食品への拒否層」は「三割」から「二割」に減った。すなわち「不安に思う人の割合は減っている」が、それは「検査態勢」や「検査結果の情報」という「科学的」な措置のおかげである。しかしながら、その一方で「科学的に正しくない」が「仕方がない」態度・行動をとって「一番、不安を持っているのは福島県民」ということも言える。福島県民は「科学的」な情報に対して分裂した反応を示していることになるが、これは第5.2.-5.3.節でみたように心理的圧力に変換された「科学的」な知識への警戒や、上でみた建前と本音の使い分けを考慮に入れれば当然のことである。この引用は福島県と県外の「風評被害の構造」を問題にして、もっとも放射能に不安を持っている福島県民でさえ、科学的な措置・情報のおかげで福島県産の食品への拒否を減らしているのだから、放射能への不安がより少ないと考えられる県外の人々に対して同じように安全情報を提供すれば、福島県産の食品への拒否はより大きく減少するという論理を展開しているようにみえるが、そこには福島県民のおかれた「声を上げる」ことができない分断状況やそれに対処する個人がとる<偽善的>ともいえる言動の二重性がまったく考慮されていない。「福島県産の食品への拒否層」の減少というアンケート結果さえ、「変人扱い」されないための建前からでた解答のせいであるかもしれないのである。

 

6.3. 内部分裂を反映した言語表現

 放射能汚染環境への「不安」と、「安全」・「安心」に向けた同調圧力の間で分裂した個人の心理を、言語表現の上でよく示した事例がある。それは<撞着語法>(オクシモロン)の使用である。<明るい暗闇>というような意味的に矛盾する語の結合であるこの語法は、見せかけの裏にひそむ二重性や相いれないものの共存を示唆する。記事87は、「相馬高校の女子生徒が、福島第一原発事故がもたらした不安の中で生きる日常を映像や音声で記録」した「自主映画」を取りあげているが、そこには、放射能汚染によって追いこまれた行きづまり状態から、「前向き」に「楽しく生き」ることへの反転のプロセスが、称賛とはげましの調子とともに紹介されている。

 原発事故現場から距離的にはやや離れているものの、この女子高生たちが「不安になるのは当然」で、それには「三十キロ圏外なら大丈夫なんて、信じられない」、「内部被ばくが怖くて、食べ物が心配」といった現在の問題とともに、「将来、他の県の人と結婚する時に放射能のことを言われたら」困ることや、「子どもに障害があったら、全部私たちのせいにされる」といった未来への不安も含まれる。その一方で、避難の可能性がない条件下では、原発と放射能汚染環境は「一気に逃れられない存在」となり、彼女たちの「不安の中で生きる日常」を不可避なものにする。しかし、ここから、相馬市の女子高生たちに心理的な転換が訪れ、「強がりながらも前向きな」態度を取らせる。

 

「<放射能なんて怖くない。差別なんかされてらんない。何が何でも楽しく生きてやる。だって、女子高生だもん>」

 

「不安」を与えたはずの「放射能」は突然「怖くない」ものに変わる。「結婚」や「子どもの障害」などをとおして意識されていた「差別」の可能性は、それを受ける側である自分たちからの拒否によって存在しなくなる。こうした無根拠な現実の転換を可能にしたのは、「何が何でも楽しく生き」るという開き直った「強がり」だが、それは逆に言えば、放射能を怖がる不安な生活に対処するのに、彼女たちにはこのような<魔術的>な心理転換以外には、方法がないことを示している。記事はこの転換のきっかけは、「悩んでいるのは私一人じゃないという視点」が生またことにあったという。すなわち、「強がり」は同調圧力をともなった集団的な盛り上がりから生まれたのだ。さらに、彼女たちは開き直りの根拠として、「女子高生」という社会的カテゴリーへの帰属をあげる。原発事故も放射能汚染もないよその「女子高生」と同じように「たのしく生きる」ことで自分たちの社会的帰属を再確認し、その対価として、よその「女子高生」と同じように扱われる保証を得ようとしているかのようだ。「楽しく生きる」ことは、予想される「被ばく」の害に由来する「差別」への対抗措置として義務づけられる。したがって、放射能汚染環境で生きる異常な状態が、「その中で普通に生活している、私たちの日常がある」というふうに正常化され、規範化される。これまでみてきたいくつもの事例と同様、ここでもまず異常な状況で「普通に生活」することが政治的・社会的に強制され、それを受けてリスクと強制の二重拘束が心理的に乗り越えられ、異常性が無化されるという<必然−自発転換>のプロセスがある。さらに、この女子高生の事例では、強制された現実を「楽しく生きる」ことが、予想された社会的排除(差別)への予防措置としてとらえられている。異常な事態でも、それを「普通に生活」することが、自分が「普通」の存在であることを保証するかのように。

 社会的排除に対する予防措置にはもう一つの側面がある。「普通に生活」することを、「全て自分で引き受けたように」(記事43)、一気に受けいれ、それに思春期的な開き直りの活力を与えることは、「普通に生活」することを強制した側からみれば、ほほえましく、頼もしい。強制の受け入れがしぶしぶ行われると、それ以後の抵抗や反発が予想される。「何が何でも楽しく生きてやる」という「強がり」は、個人内部の心理的葛藤を無化すると同時に、放射能汚染環境で「普通に生活」するという事態にまつわる社会的葛藤をも「前向き」に清算してしまうのである。強制するものと強制されるものの共謀関係が成立するということも、<必然−自発転換>の効果の一つであったことを思い出そう。

 相馬市の女子高生たちが示した開き直った過剰な反応は、彼女たちがかかえている不可避的な「不安」の大きさに対応する。記事は、そうした二重拘束に由来する自己矛盾を「放射能怖いけど楽しく生きてやる 不安でも前向き」という撞着語法的な見出しで表現しているが、記事88の見出しでは、この語法は、「一人だけど一人じゃない」という典型的な形をとる。この記事では、「原発事故で一時全村避難し、二〇一二年一月に帰村宣言した福島県川内村の川内小で、たった一人の六年生」が卒業したことを伝えている。事故前は18人いた同級生のうち、帰還したのはこの生徒だけだったが、「同級生らと離れ寂しかったが、残った児童たちと駆け抜けた日々は彼女を一回り大きくさせた」のだという。「責任感も生まれ」、彼女の「成長を肌で感じた」先生によれば、「自分しかいない、大変でもやらなくちゃと腹をくくったのでしょうね」ということになる。そしてこの生徒は、卒業式で、「川内村に戻ってきたことに少しも悔いはありません」と宣言する。「腹をくくる」という<覚悟>の表現は、記事70でも使われていたが、そこに至った子どもの<成長>は、見出しの撞着語法が示唆するような自己矛盾を含んだものだった。卒業式という共同体のハレの場で、大人たちの政策を追認したこの小学生の「笑顔の絆で結ばれた学校生活」には、上でみた女子高生たちの心理的転換と同質のものがある。ただ、思春期的な勢いの代わりに、「寂しいけどかわいそうではない」という、けなげな<学校的優等生>の像が記事の情感的基調を形づくっているだけである。

 

6.4. <象徴暴力>の効果:リスク認識の反転

 前節では、福島における「分断」と、帰還・復興路線が生み出した個人の二重拘束の状況をみてきたが、このような状況では、一方では「3・11後」の記事にみられる心理的反転への誘導と圧力が存在すると同時に、他方では、低線量放射線による健康被害への「不安」が根強く持続する。被災地で暮らす子どもの存在が、復興を進めるうえで不可欠であることは第4.4.節でみたが、子どもは放射線による健康被害を最も受けやすい存在でもある。福島県は、原発事故時に18歳以下だった37万人を対象に甲状腺検査を実施していたが、2012年9月に最初の甲状腺がんの事例がみつかって以来、2014年8月の時点では、がんとその疑いの事例は103人にまで達した(記事89)。この検査に対しては、検査の方法、検査結果の検討手順や解釈、当事者への情報の開示などの点で、住民の不信感が強い(記事90)。2014年12月26日放送のNHKスペシャル「38万人の甲状腺検査〜被ばくの不安とどう向き合うか〜」は、検査の実施主体である福島県立医大が、こうした事態を受けて始めた「新たな取り組み」を取材している。それは、県立医大の女性准教授が幼い子どもをもつ母親にやさしく語りかけていたように、「放射線の影響が出るかどうかはわからない」という事実と、それに対して「長い間、継続して検査していかなくちゃいけない」という対処法を納得させることに集約される。「わからないことはやっぱり、わからない」という女性准教授のことばに、「不安を一人抱え込んでいる」母親は次のように答える。

 

「あの、そう言われたから余計、あの、あって思い、納得いったので、やっぱりわからない未知なところがあるんだ、じゃあわたしんとこ、うちもそういう検査に協力して、すこしでもそうやって何かがあったら早く見つけてほしいって正直に思いましたね。」

 

5.2.-5.3.節で、「科学的」知識の限界や健康影響の確率的性格が、放射能汚染環境の回避(避難)を抑制する効果があることを指摘したが、ここで展開される科学の<不可知論>はより深いレベルで予防原則を解体している。

 番組の取材時点で幼い子どもをもつ母親が、子どもに放射線の健康影響が出る可能性があることを知らないとは考えられない。しかも、その可能性について確定的なことが分からないということも、母親は知っており、それだからこそ「不安」になっている。「わからないことはやっぱり、わからない」という情報は母親にとって新しいものではない。母親が「あって思い、納得いった」のは、がんなどの健康被害の可能性が、可能性でしかなく、可能性でしかないことに希望を見出すことができたからだし、また、この可能性を全面的にまぬかれることはだれにもありえないと「納得」したからだ。こうした心理的な転回をうながしたのが、一方で医学的権威を体現し、他方では<母性>に基づく近親感を共有する母親と比較的年齢の近い県立医大の女性准教授のことばである。そこには、おそらく医療措置の保証の示唆なども含まれていたと想像される。

 「科学的」知識の限界に由来する<不可知性>は、こうして予防原則を無効にしてしまう。母親は、自分の子どもに健康影響が出ることを、<確率的>に受け入れてしまっている。放射能汚染環境で生きてゆくほかはない状況では、この確率が低くても高くても、それに賭ける以外には方法がない。<不可知性>は、医学的権威のもとにこの賭けを正当化し、「不安」を希望に転換するのである。

 <不可知性>が「不安」を和らげ、希望の源泉となるのなら、「わからない」ことを積極的に求めるという戦略も可能となる。記事91は、福島県に隣接した栃木県北部でなされたアンケート調査の結果、放射線の健康影響について「八割が大いに不安」「やや不安とした」にもかかわらず、「自治体が実施する尿や母乳の放射性物質検査を利用した利用する予定の人は23・7%にとどまる」と報告している。記事はその理由として、「被ばくについて考えることがストレスとなるためが18・9%で最も多く、被ばくの不安を負担に感じ、検査をためらう傾向が浮き彫りになった」と分析している。「どうにもならないことでストレスを抱えたくないから、あえて放射能汚染がらみの情報には接しないようにする、という価値観」、すなわち「意図的蒙昧」(記事92)を求める傾向は、ここまでみてきた「分断」や二重拘束、さらにそれらから脱するために<不可知性>にすらたよる心理的転回を考慮に入れれば十分理解できる。放射能汚染環境から離れて生活する可能性は政治的・社会的に断たれている。仮に、放射線による健康影響が実際に存在するという事実を突きつけられても、どうすることもできない。いや、それどころか、かえって「腹をくくる」ことや「選択」や「覚悟」を強いながら、「すがすがしい笑顔」で「普通の生活」をすることをも強いる<象徴暴力>にさらされ、それが課す「ストレス」を抱え込むことになる。<知ること>も<理解すること>も、行動のレベルでも認知のレベルでも「結論ありき」(記事32)の状態では、何の役にもたたない。<不可知性>に希望を見出した福島の母親と同じように、栃木の母親は、汚染状況や避難・帰還・復興をめぐる緊張が福島よりも低いことをよりどころに、「意図的蒙昧」に確率的な希望を見出しているように思われる。

 

7.結論

 ここまで、原発事故後の被災地の状況に関する新聞記事の検討をとおして、一部の記事が、政権の帰還・復興政策を側面から支える形で、被災者たちに困難な心理的転換をうながしてゆく様子を見たが、それは原発事故が引きおこした大規模な社会的混乱を、何もなかったかのような事故前の日常に収束させるために行使される<象徴暴力>の様相をみせていた。現実的な選択肢を奪われた者が、強制されたものを選択しなおし、その、<選択>を生きる力の源泉とする<必然−自発転換>は、小学生、女子高校生から母親に至るまで、それぞれのおかれた社会的条件の違いに応じて異なった様相を見せるが、どの場合においても、異常な状況のもとでさえ「前向き」に「普通の生活」をすることで、異常な状況が強制されたという事実自体を覆い隠していた。その代償として、当事者たちは、「癒し」、「出会い」、「安心感」、「信頼関係」、そして「笑顔」を取りもどし、異常な状況を強制した側との葛藤からも、それが引き起こす自己の内部の葛藤からも解放される。強制する側と強制される側の間にこうして共謀関係が築かれる。「3・11後」の記事は、この共謀関係を準備する<必然−自発転換>を心理面から誘発する言説を提供していたが、それは、<象徴暴力>が構成され、展開されてゆく過程を、言説の言語的実態を分析することをとおして具体的に検証する貴重な機会を与えた。このことの意義は大きい。というのも、<象徴暴力>は、効率的に機能しているときには、<自然>なこととして当事者の意識にのぼることも、観察者の目を引くこともなく、その作用や成り立ちのありさまの把握を許すことはまれだからだ。それ自体の存在を隠すことが<象徴暴力>の本質的な特徴であるから、それは、ふだんは手の内を見せることも、馬脚を現すこともない。それが、新聞紙上の記事言説をとおして、一般公衆に、いわばあけすけに働きかけなければならなかったということは、原発事故被災地の危機的な状況を反映している。帰還・復興に向けて、避難指示の解除などの切迫した政治日程をうけて、即効性の住民対策を広く展開する必要に迫られていたのである。

 困難な現実状況に由来する統治の危機が<象徴暴力>の露骨な展開をうながし、それをやむをえず可視化するという事態は、アジア太平洋戦中期の言論・思想統制を連想させる。実際、水島朝穂は、空襲時の避難を禁じた「防空法」と原発事故時における政府の情報管理の類似性を指摘している(記事93、文献15)。当時の新聞が「手袋をはめれば、焼夷弾を手づかみで処理できる」と空襲の脅威を矮小化したことと、今日の新聞が、放射能のリスクに果敢に立ち向かうことを推奨することの間には、確かに並行性がある。福一原発事故をめぐるメディアや公的機関の言説を、戦中期のプロパガンダや言論管理と比較することは、重要な成果が期待できる研究分野である。今後の課題としたい。

 もう一つ今後の研究の方向を示唆するのは、第5および6節で検討した<象徴暴力>の形成・展開過程とリスク論およびリスクコミュニケーション論との関係である。社会学や心理学ばかりでなく、医学や経済学や工学系の研究者も参入するこの分野で研究されていることは、<象徴暴力>の文法の体系化とその技術的洗練という観点から批判的に再検討する余地があると考えられる。すでに、島薗進は文献22で「放射線安全論」の形成過程を概観しているが、それにひきつづく研究の展開が求められている。

 今後の研究課題を考えるときに決して忘れてはならないのは、この論考で取りあげた<象徴暴力>の実態は、原発事故の被災地をおおっているそれのごく一部にすぎないという点である。マスメディアの報道、出版物、映像作品から、国家・自治体による「リスクコミュニケーション」や各種団体の活動に至るまで、帰還による被災地の復興をうたいあげる言説・表象は満ち満ちている。そうした<象徴暴力>を<象徴暴力>として摘出して、分析・理解することは、<象徴暴力>の自覚とそれに対する抵抗の第一歩となる。それこそが、被災地の人々の<人間の回復>の始まりとなるはずだ。

 この論考は、東京新聞にみられた異なった報道傾向を対比的に検討することから出発した。すなわち、「3・11後」が政権の方針に沿って<象徴暴力>となる言説を展開し、強制する側とされる側の共謀関係の構築を促し、それに抵抗する異分子を同定し圧迫する「分断」についてはまったく沈黙していたのに対して、「特報部」による明白に政権批判的な記事は、この「分断」の様相ばかりでなく、共謀関係の構築自体を問題化する視点を持っていた。一つ新聞社の内部で、このようにはっきりと異なり、対立的でもある報道方針が共存することには、どのような意味があるのだろう。メディアリテラシーの観点から考えてみよう。

 まず、原発の過酷事故という重大なできごとが引きおこした多様な事実を忠実に報道するという意図が、記事の多様性を生み、それが異なった傾向の記事群に反映したというふうには解釈できない。もし、そうなら、この多様性は、ひとつの記事の内部にも、また一つのセクションの内部にも反映したはずだが、「3・11後」にしても、「特報部」にしても、記事の傾向性はこれらのセクションごとに決定されているからだ。第二に、それらの傾向性は、除染・帰還・復興による原発事故の早期収束という政権の政治方針に対して、正反対の立場をとっていた。「3・11後」は、帰還・復興の美徳とモラルを説くのに対して、「特報部」は政権のこの方針を、再稼働などの他の原発関係の政治方針と同様に厳しく批判していた。これらのことかから考えると、東京新聞の原発事故報道にみられた対立する報道傾向は、原発事故をめぐる政治的対立と、被災地の現場の「分断」を反映していると解釈できる。

 現実に政治的対立があり、現場の「分断」が存在する以上、それが報道機関の活動に相同的に反映されるのは当然であるとも言えるし、そのこと自体、報道機関が<健全>に機能している証拠であるとみなすこともできる。ここでメディアリテラシーの観点から重要なことは、このような現実の<反映>が、報道機関や記者たちの<中立性>や<客観性>の産物ではないということだ。むしろ、記者個人のモチベーションや、記者が属する部署の方針の政治的・社会的特性が、現実への視点や記事言説の構成を決定づける報道の<型>の多様性に反映していると考えるべきだろう。

 ピエール・ブルデューは、報道にたずさわる個人が、新聞社やテレビ局などの組織内部で占める位置、また、これら個々の報道機関が、国家的な報道界で占める位置と報道内容との関係に注意を促しているが(文献6)、このような視点から、東京新聞における原発事故関係報道の二つの<型>の対立をみなおしてみよう。

 導入部で述べたように、東京新聞は福一原発の過酷事故直後から「情報を隠蔽しようとする政府・東京電力を告発し続けた」報道によって、高く評価され、いくつかの賞を受賞した。それらの事故初期(2011年3月〜2012年3月)の記事をまとめた本(文献23)の巻末に、「原発事故取材班」の記者91名の一覧がのせられているが、この中には、「特報部」の記事を執筆した者が数多く見出されるのに対して、「3・11後」やそれと同系列の記事を書いた記者は一人もいない。この事実は、「3・11後」の記事の執筆者は、原発事故関係の報道の新参者であることを示している。すなわち、2013年1月以後、「政府・東京電力を告発」する記者のグループとは別に、政権の帰還・復興路線の展開を、福島の現場の動向を報告するという形で支援し、住民の心理対策に貢献する<型>を持った記事言説を生産するグループが生まれ、存続を許されたということがわかる。

 東京新聞内部のこうした体制の変化がどうして生じたかは明らかにすることは外部からは非常に困難である。「原発事故」という巨大な報道テーマをめぐる記者集団内部における紙面獲得競争が反映しているのかもしれない(それには、報道対象をめぐる記者たちの「可視性をめぐる抗争」(文献14)という側面と、記者たちの社内における勢力争いという側面の両方がからんでいるかもしれない)。また、政権批判的であることから生じる政治的・経済的圧力を懸念する経営陣の意向が反映されたのかもしれない。この点に関しては、「3・11後」の連載が、原発再稼働を政治方針とする政治勢力の政権復帰の直後から始まったという事実も示唆的である。いずれにしても、一つの報道機関内部にみられる複数の対立的傾向を詳細に検討することは、それぞれの傾向に属する記事が政治的・社会的現実の中で果たす<役割>をよりよく理解することを助けるし、さらに、報道機関がしばしば標榜する<客観的><中立>報道という神話を解体し、記者や報道機関が置かれた位置を考慮に入れることが、記事の<客観的>理解にとって不可欠であるというメディア批判の方法論を実践的に応用する機会ともなる。

 

記事一覧

1.本紙に菊池寛賞 原発事故検証を評価 政府・電力会社のウソ暴く。2012.10.16

2.本紙特報部にJCJ大賞 被ばく線量問題など追及。2012.07.12

3.日隅一雄賞特別賞に本紙「こちら特報部」 揺るがぬ原発報道を評価。2013.06.13

4.「報道の自由推進」 本紙に最優秀出版賞 外国特派員協会が創設。2015.05.08

5.帰還困難区域 国道6号 車制限解除 3年半ぶりに全線開通。2014.09.15

6.こちら特報部 国道6号 車内の最大線量6マイクロシーベルト(上) 開放されてもバリケード, (下) 便利になるが 人はいない 「子や孫は通らせたくないな」 住民。2014.09.18

7.井上能行のふくしま便り 国道6号 全面通行再開 浜通り 人の流れ再び。2014.09.30

8.原発避難者 移住急増 除染不安 生活再建余儀なく 本紙調査 福島県内・首都圏など3789件。2015.01.20

9.福島の笑顔届け 地元戻った女性 動画で魅力発信 「多くの訪問 復興につながる」。2015.01.19

10.「富岡に1人」映画化 福島第一地元 離れない 餌やり、花見…日常刻む。2015.01.27

11. 核心 原発事故避難 なお12万人 帰還も移住も見えぬ将来 仮設生活4年 異例の長さ。2015.02.27

12.都内避難者66%が定住希望 生活拠点化 減る帰還希望者。2014.05.01

13.(朝日新聞)自主避難者への住宅提供、2年後に終了へ 福島県が方針。2015.05.17

14.南相馬の避難勧奨解除 政府 最後の142地点、28日に。2014.12.22

15.自民「積極的に改憲」 参院選公約 原発再稼働も推進。2013.06.21

16.原発輸出推進で合意 安倍首相 ベトナム首相と会談。2013.01.17

17.反省なき 原発輸出行脚 「政官業」タッグ復活 「事故経験し安全技術向上」首相強弁。2013.05.04

18.印と原子力協定再開 日本 原発輸出の推進加速 共同声明。2013.05.30

19.核心 再稼働、輸出…事故の教訓は 福島に背 原発推進 首相式辞 汚染水・廃棄物触れず。2015.03.12

20.東京五輪決定 二〇二〇年への約束(1) 原発収束 待ったなし 平和の祭典 中韓との改善も。2013.09.10

21.汚染水 外洋に垂れ流し 1年前に把握、放置 福島第一 排水溝改修せず。2015.02.25

22.原発事故教訓 語らぬ首相 東北開催なのに言及1回。2015.03.15

23.何も進まぬ1年 子ども・被災者支援法期待したが… 政府に怒り 方針出して。2013.06.22

24.「被災者支援法の放置違法」 避難者ら国提訴へ。2013.08.20

25.復興庁幹部職員が暴言 市民団体を「左翼のクソ」 ツイッター。2013.06.13

26.復興庁幹部ツイッター暴言 役所に盾突く人=左翼 コレが官僚の本音? 被災者支援策の先送りが問題。2013.06.14

27.対象地域限定・県外避難の補助除外 被災者訴え届かず 支援法基本方針案 あす閣議決定 復興庁に要望書。2013.10.10

28.被災者置き去り「支援法」 意見4900件 聞いただけ 基本方針閣議決定 「県境で線引き残念」。2013.10.12

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39.こちら特報部 福島の被災者は苦しんでいる(上) 「東電にイジメられズタズタ」 孤独死 二本松の仮設で4日、(下) 心のケアでは解決せず…法整備しかない 「お金いらない元に戻して」 「夫婦うつ、家族皆被ばく」。2014.06.27

40.こちら特報部 福島 増える不登校 転校強制なじめず(上) 原発事故 子どもの心むしばむ 遅い対応「もう行政頼まない」、(下) 親の不安いら立ち伝染 生活立て直し不可欠 収束急ぎ将来の展望示せ、2013.11.05

41.社説 2014衆院選 福島の被災者 苦悩を受け止めたのか。2014.12.11

42.東北復興日記(90) NPO法人JKSK結結プロジェクト事務局相川ふみさん 自分を追い詰めないで。2014.05.09

43.東北復興日記(124) 一ノ蔵マーケティング室長・山田好恵さん 「小高で生きる」情熱 感銘。2015.01.23

44.東北復興日記(130)ランスタッド株式会社EAP総研所長 川西由美子さん 南相馬で力強く生きる。2015.03.13

45.東北復興日記(131)よつば保育園副園長 近藤能之さん 気軽に相談子育てカフェ。2015.03.20

46.東北復興日記(127) 環境ライター・箕輪弥生さん 双葉の復興は未来への鏡。2015.02.20 

47.井上能行のふくしま便り 放射線の不安 徹底議論を。2014.02.18

48.東北復興日記(85)ベテランママの会代表 番場さち子さん 放射能知識の冊子ご協力を。2014.04.04

49.放射線恐れ輸送拒否も 福島、物資届かず。2011.03.17 

50.(毎日新聞)記者の目:福島第1原発の放射性物質漏出=斗ケ沢秀俊。20110318 

51.こちら特報部 「放射線」政府広報 「主張 一方的」(上) 1億円かけ「安心」強調 リスク議論 本格化しないのに…、(下) 健康被害 過小評価の恐れ 掲載の経緯 不透明 被災者ら憤り「政府の本音出た」。2014.09.22 

52.井上能行のふくしま便り 安達太良山 山開きに8000人 山小屋の線量、毎日公表。2013.05.28

53.紡ぐ 2013  南相馬の現実語り合う 「ダイアログ」 都内初開催。2013.03.29

54.南相馬・小高区復興の一助に 養蚕プロジェクト始動 主婦らNPO 手織り商品化目指す。2014.06.26

55.帰還 花が待ってるよ 原発20キロ圏の南相馬 旅館おかみ「街に彩りを」。2014.03.03

56.あなたの復興率は?2015.03.08

57.東北復興日記(102) のらとも農園 広畑裕子さん 南相馬の今を知って。2014.08.05

58.井上能行のふくしま便り 特定避難勧奨地点に指定されて 除染徹底 生活取り戻す。2015.01.06 

59.こちら特報部 福島の大学情勢に“異変” 「親原発」勢力 2校に接近(上) 県医大 副学長に山下氏 講演でも問題発言連発 セシウム 「危険の証拠ない」と主張、(下) 福島大 「もんじゅ」独法と提携 批判しにくい空気懸念 学長は「環境回復に活用」 「住民に背向けた」との声も。2011.07.28 

60.こちら特報部 子どもの甲状腺「おおむね良性」(上) 方法・説明 親は不信 福島、3割以上「のう胞」 「正常?異常?分からない」、(下) 半年ごとに検査を 県「次は2年後」 健康対策せず。2012.05.18 

61.原発被災地で暮らす<下>「距離25キロ」で子育て 住民主体で安心づくり。2015.03.20

62.井上能行のふくしま便り 自力で除染 園児守ったさくら保育園 測って確かめる実践。2015.01.13

63.(東洋経済)混乱する除染現場、放射性物質汚染地域に募るむなしさと不安。2012.03.07http://toyokeizai.net/articles/-/8752

64.こたえぬ政治 放射性物質問題 学校プールに基準 福島を想定し文科省策定へ。2011.06.07

65.こちら特報部 セシウム 雨で山から流入 汚染強まる地点も 福島・渡利地区 専門家「子どもと妊婦避難を」。2011.10.06

66.こちら特報部 高線量地点あちこち 避難区域指定進まない福島市 渡利地区説明会 憤る住民(上) 除染優先納得できぬ 行政「勧奨地点なし」、(下) 子ども救う選択肢を 東電の補償逃れ心配。2011.10.10

67.こちら特報部 「特定避難勧奨」指定ない福島市渡利 二重基準に住民怒り 政府と交渉 「なぜ南相馬の子と違う」。2011.10.29

68.こちら特報部 福島の幼稚園経営三重苦(上) 園児減り続けたら… 少子化、避難、負担増 「子どもたちは復興の原動力」、(下) 東電の賠償進まず 国も後押しせず。2013.01.25

69.子どものいない南相馬なんて 妊婦・子育て宅独自除染 市民有志、新手法試み。2012.06.22

70.南相馬 2年の苦闘を本に 原発禍 野球少年追う 地元出身ルポライター 「実態知って」。2013.07.19 

71.(福島民報)「28年4月解除」表明 南相馬市の避難指示解除準備、居住制限区域。2013.12.26

72.こちら特報部 福島・南相馬の「復興」(上) 除染特需 偏る「恩恵」 若者・子育て世代帰還鈍く、(下) 戻らぬ町の「かたち」 商店街、人通りなし「商圏壊れた」。2015.02.23 

73.南相馬「特定避難勧奨」解除1カ月 残る不安 帰還に二の足。2015.02.03

74.井上能行のふくしまを聞く 福島大・清水修二特任教授。2015.04.07

75.井上能行のふくしま便り 相馬野馬追と競馬場 夏の主役が疾駆する。2013.07.16 

76.井上能行のふくしま便り 原発批判の旗手 安斎育郎さん 「学者の責任」福島通う。2015.03.17

77.絆 新たに 桜の下で 福島市・花見山 避難者癒やす桃源郷。2012.04.23

78.井上能行のふくしま便り 復興ツアー 被災者の言葉 平凡な幸せ大事にして。2013.02.05

79.井上能行のふくしま便り 避難指示解除の田村市都路地区 帰還 逃げるより難しい。2014.04.29 

80.井上能行のふくしま便り 支える思い 芽生えた 都立高生が広野町訪問。2013.10.08

81.東北復興日記(81)NPO法人JKSK結結プロジェクト事務局長 薗田綾子さん 絵を描きながら癒す。2014.03.07

82.東北復興日記(100)JKSK会長木全ミツさん 原発周辺の「今」をこの目で。2014.07.18

83.こちら特報部 放射線の影響 話しづらい(上)、(下) チェルノブイリでがん増えた「事故の4年後」 物言えぬ雰囲気の中 行政は検査縮小の動き 正確な調査・補償・相談…そろってこその安心。2015.03.11

84.考える広場 論説委員が聞く 福島と「つながる」とは 女の闘い、日常の中から 脱原発福島ネットワーク 武藤類子さん。2014.09.27

85.福島の今の声 東京に届け 在住者招き「トーク」3年 作家・渡辺一枝さん 「闘い、普通の生活の中に」、2015.02.10

86.井上能行のふくしま便り 国連防災世界会議 各地でイベント。2015.03.24

87.春よ 東日本大震災2年 放射能怖いけど「楽しく生きてやる」 不安でも前向き 若者の日常発信 相馬高の女子生徒 映像に。2013.02.24 

88.卒業式「一人だけど一人じゃない」 川内村の秋元さん「悔いはない」 笑顔の絆で巣立つ。2015.03.23

89.福島県37万人調査 甲状腺がんの子ども57人に。2014.08.25

90.こちら特報部 福島・小児甲状腺がん 募る不信(上) 県の検査結果 別機関と違う 「異常なし」覆す所見も、(下) 当事者にも詳細は非公開 賠償額を減らす狙いか。2013.03.09

91.栃木県北部 被ばく検査ためらう 乳幼児保護者 考えるとストレス。2013.12.16

92.(Independent Web Journal)「被曝限度? 知らない、知りたくもない」北関東被災地に意図的蒙昧の傾向 〜「茨城・群馬・栃木」国立大学有志が報告。2014.02.08

93.空襲に避難禁じる異常 戦時下の「防空法」 被害小さく宣伝/原発安全神話に重なる。2014.03.03

 

 

参考文献

1.荒井文雄(2012):「重大災害時におけるメディアの役割―東京電力福島第一原子力発電所事故後における放射線健康被害リスク報道の検証―」、京都産業大学論集・人文科学系列第45号、pp.103-145.

2.荒井文雄(2014):「風評被害のプロトタイプ意味論」、京都産業大学論集・人文科学系列第47号、pp.383-415.

3.安斎育郎(2011):『安斎育郎のやさしい放射能教室』、東京、合同出版。

4.Bourdieu, P.,(1979) : La distinction : critique sociale du jugement, Paris, Les Éditions de Minuit.(邦訳:石井洋二郎訳、『ディスタンクシオン <1-2> -社会的判断力批判』、藤原書店

5.Bourdieu, P.,(1994): Raisons pratiques : sur la théorie de l'action, Paris, Seuil.(邦訳:加藤晴久訳、『実践理性行動の理論について』、藤原書店

6.Bourdieu, P.,(1996): Sur la télévision suivi de L'emprise du journalisme, Paris, Liber .邦訳:櫻本陽一訳、『メディア批判』、藤原書店

7.Bourdieu, P.,(1997): Méditations pascaliennes, Paris, Seuil.(邦訳:加藤晴久訳、『パスカル的省察』、藤原書店

8.Bourdieu, P., et J-Cl Passeron, (1970) : La reproduction : Éléments d’une théorie du système d’enseignement, Paris, Les Éditions de Minuit. (邦訳:宮島 喬訳、『再生産』、藤原書店)。

9.Days Japan 2013):「汚染地図にみる子どもたちの住むまち」、Days Japan2013年4月号、PP.1

10.日野行介(2013):『福島原発事故 県民健康管理調査の闇』、東京、岩波書店。

11.日野行介(2014):『福島原発事故 被災者支援政策の欺瞞』、東京、岩波書店。

12.井戸謙一 (2015):『怖がっていい 泣いていい 怒っていい いつか、さいごに笑えるように―』、ママレボ出版局。

13.烏谷昌之(2001):「フレーム形成過程に関する理論的考察」、『マスコミュニケーション研究』58号、pp.78-93

14.マクネア、ブライアン(2006):『ジャーナリズムの社会学』、東京、リベルタ出版。

15.水島 朝穂・大前 治(2014):『検証 防空法:空襲下で禁じられた避難』、京都、法律文化社。

16.中川保雄(2011):『放射線被曝の歴史 : アメリカ原爆開発から福島原発事故まで』、東京、明石書店。

17.日本科学者会議編(2013):『環境・安全社会に向けて 予防原則・リスク論に関する研究』、東京、本の泉社。

18.大石裕(2005):『ジャーナリズムとメディア言説』、東京、勁草書房。

19.大竹 千代子・東 賢一 :『予防原則―人と環境の保護のための基本理念』、東京、合同出版。

20.欧州環境庁編 (2005):『レイト・レッスンズ : 14の事例から学ぶ予防原則 : 欧州環境庁環境レポート2001』、東京、七つ森書館。

21.島薗 進(2013):「中川保雄『放射線被曝の歴史』に学ぶ(1)〜(3)」、ブログ『島薗進・宗教学とその周辺』(http://shimazono.spinavi.net/?p=236)に掲載。

22.島薗 進(2013):『つくられた放射線「安全」論 −科学が道を踏みはずすとき』、東京、河出書房新社。

23.東京新聞「こちら特報部」(2013):『非原発―「福島」から「ゼロ」へ 』、東京、一葉社。

24.津田正太郎(2006):「ニュースの物語とジャーナリズム」、大石裕編、『ジャーナリズムと権力』、京都、世界思想社、pp.62-80

 

 

Symbolic violence in media discourse on recovery from the Fukushima nuclear power plant accident

Fumio Arai

 

Abstract

Several years after the severe accident at the TEPCO “Fukushima Daiichi” nuclear power plant, the victims of the accident are being urged to return to their radiation contaminated hometown by the government which, still adhering to the nuclear energy policy, has hastened to “reconstruct” the evacuated areas. Based on the concept of “symbolic violence” elaborated by French sociologist Pierre Bourdieu, we analyzed the newspaper discourses promoting resettlement and reconstruction and show that the covert psychological process they employ has the characteristics and the effect of “symbolic violence”.

 

Keywords: nuclear power plant accident, newspaper reporting, critical discourse analysis, symbolic violence, media literacy